山行日 2023年5月23日(火)
山名・山域・県名 姫越山、三重県大紀町
目  的 5月平日定例山行
形  態 日帰り
コース 日の出公園町営駐車場(9:15)→ 北登山口(9:22)→展望台(9:54)→-爺ヶ塚→姫塚→姫越山山頂(11:15)→のろし台→新桑分岐(12:14)→芦浜(13:21)→芦浜峠(14:20)→弘法の水→南登山口(15:44)→日の出公園町営駐車場(16:04)
メンバー 6人
天  気 晴れ
交通手段
装  備 日帰り基本装備
入  浴 阿曽湯の里 http://www.town.taiki.mie.jp/culture/midokoroguide/osusumespot/asoyu
定例山行として三重県南伊勢町、座佐の高を訪れたのは昨年2月の出来事でした。この企画が発表されるや否や、申し込みが殺到。一時20名を超える応募があり、車、運転手を確保するのが困難な状態に。最終的には前代未聞のマイクロバスをチャーターしての山行となったのは、まだ記憶に新しいところです。

その座佐の高山行時に、「唐人殺し峠」と呼ばれる物騒な名の峠に立ち寄ったのですが、その際その先に続く姫越山の存在を教わりました。

その時から心の片隅に残っていた姫越山。今回このお山の存在を教えてくださった先輩のお力を借り、この日平日定例山行として6名で訪れました。

先出の座佐の高が聳える南伊勢町と、大紀町の境に位置する姫越山。頂上からは同じく熊野灘を一望出来ます。山頂から芦浜へと降り立つと、そこには絶景オーシャンビュー。この日の芦浜は、道中誰とも出会わなかった私達の、贅沢なプライベートビーチと化しました。

さて、こちら姫越山周辺を巡っては今昔、悲しい物語が残されています。

1944年12月に発生した東南海地震。現在の紀勢町錦支所に残されている『昭和大海嘯記録』という記録には、「遠州灘を中心とする一大地震が突如として起こり1分8秒に及んだ。町民一同驚き戸外に飛びだし津波の襲来を心配したが、10 数分にして大津波が押寄せた」、「大半の民家は見る見るうちに将棋倒しとなり、間もなく津波はひき始め、倒壊家屋の古材が浦に充満した。溺れる者もあったが、如何ともする術がなく、これらの有り様を眺めていた避難民はじだんだ踏んで泣き叫んだ」と、当時の凄まじい様相が綴られています。

また昔話としては、以下のような姫越の黄金伝説という言い伝えがあります。

『昔、それは源平合戦の頃、この山を喘ぎながら登っていく老武士と姫君の姿があった。馴れぬ山路、落人の身。やっとたどり着いた峠で姫君は一歩も動けなくなった。せめて飲み水でもと老武士は急ぎ谷を下り、水をもって峠に戻ったが時既に遅し、姫君は事切れていた。老武士は持参していた黄金をツツジの木の下に埋めると姫君を追って自らの命を断った』

この伝説が「姫越山」の名の由来となったようですが、この話の中に登場する黄金を埋めた云々という一節には、埋めた場所を示す歌が残っています。

『朝日さし夕日直さすツツジの下に黄金千両、後の世のため』

この歌を信じて一時期、山のツツジの木の下が全て掘り返されるという事件があったそうです。

そのようにして掘り起こされたからかどうかは分かりませんが、道中ツツジが目に止まる事はなく、代わりに一帯はウバメガシが密生し、登山道には至るところウバメガシの落葉で埋め尽くされていました。

また山頂からの眺めは、そんな幾つかの悲しい物語とは無縁の、穏やかで雄大な熊野灘の眺め。雨が止んだばかりの薄曇りのもとスタートした山行は、芦浜に下りる頃には青空が広がり、寄せては返す波の音は耳に心地よく、初夏を思わせる日差しに海面がキラキラと輝き、私達の目を存分に楽しませてくれました。

今回の山行は、ここを初めて訪れるメンバーが3名、再訪メンバーが3名と半々、中には何度も訪れている先輩、14年ぶりになる先輩もいらっしゃいました。山歴も様々なメンバーでの山行は、姫越山にまつわる物語になぞらえて(とはいえ、決して悲しい話ではなく)、それぞれの今昔物語にも花が咲いた、誠に楽しい山行きとなりました。

 

 


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