山行日 2015年9月22日(火)~23日(水)
山名・山域・県名 恵那山(2189.9m)
目的 山中泊体験
形態 避難小屋泊1泊2日
コース

9/22
6:45八条口集合発=京都東IC=中津川IC=R19=10:30神坂峠着、11:10出発…11:40千両山…12:20鳥越峠…13:35大判山△…14:50・1820m…16:55主稜線(前宮コース分岐)…18:10頂上避難小屋着、小屋泊にする、18:30水場、18:50夕食、20:30就寝

9/23
 5:00起床~6:00日の出鑑賞、朝食、空にで頂上ピストン、7:55恵那山△(2189.9m)、8:10小屋出発…8:45前宮コース分岐…10:40・1820m…11:35大判山△…12:55鳥越峠…13:55千両山…14:30神坂峠着=15:30“クアリゾート湯舟沢”入浴料800円=17:00中津川IC=20:30八条口帰着

メンバー 雅(L、食当)、N泉(SL、食当)、О濱、М岡、Y村文
天気 晴れ
交通手段 公共交通機関
装備 (共同)―7,8人用テント1、銀マット5、コンロ2、ボンベ2、ポリタン、ランタン、中鍋2
(個人)―日帰り基本装備、シュラフ、個人マット、食器、下着の着替え
入浴 クアリゾート湯舟沢

 反省点:初めてのSLでこの山行の目標、テント泊が出来なかった事。どうしたらよかったかは、これから模索。

得た事:いろんなテント場、水場がある事。そして、よき仲間と親睦を深められた事。 
(N泉)

? 準備をしっかり行うことの大切さを学びました。具体的には行動食をどう選択するか、いろんな状況を想定して荷造りする事です

行動食については、二日目のたんぱく源をいかに摂るか、同時に雨でもさっと食べれるものを考えて準備しました。

寝袋やマットは、十分な装備ではないなりにもいかに安全に濡らさず(汚さず)持ち運ぶかをもっと工夫するべきでした。

おかれている状況の中で何ができるかとを考えること忘れないでいたいと思います。  
(О濱)

? 標高2000メートルをこえる山に挑戦するのは、初めてでした。登山口との標高差は600メートル余りと言えど、私にとって簡単な山ではありません。小ピークを超えども超えども、標高はなかなか上がらず体力ばかりが消耗していきました。体力が限界に近づいた頃に最後の急坂となり坂道を這うような格好でよじ登りました。石段を登れども頂上は見えて来ず、あたりは段々と日の入りに向かっって薄暗くなるばかりで、気ばかりが焦り、根性とメンバーの励ましだけでなんとか登頂することができました。

 登頂後、直ぐに会長と文男さんが水を汲みに行ってくれました。その間にヘッドライトを灯しながら避難小屋で着替えを済ませたり、残りのメンバーで夕食の用意をしたのですが、20分程経ってもなかなか水汲み隊が帰って来ません。段々と不安になり外の様子を見に小屋を出てみると辺り一面真っ暗闇で、何の気配も音もなく怖くなり、直ぐに小屋へ引き返しました。安全な小屋で残りのメンバーと待っているにも関わらず、取り残されたような感覚になり不安でたまりませんでした。水汲み隊が帰って来たときは、安堵感でいっぱいでした。まるで初めて留守番を頼まれた子供のような気分でした。暗闇の中での別行動が如何に不安であるかということを、今回感じることができ、より一層気を引き締めて登山に臨みたいと思います。 
(М岡)

? この恵那山で、縦走登山の醍醐味のほんの入り口を垣間見た様に思っています。

目的意識を持って、目標を立てて、最後までやり遂げる~忘れていた自信を改めて気付かされた登山でした。

一人で出来る事には限界が有ります。目的を一にする素晴らしい仲間と一緒だからこそ登れたのだと思っています。 
 (Y村humi)

? お盆休みと同様、このシルバーウィ―クを無駄にしてはならじ、と一隊を作った。栂海新道隊と立山隊に続け!という意気込みだ。

 山行の目的は、山の中で泊まる事。一泊の装備を担いで、山中で寝食する。その目標に挑んでくれた初体験のメンバーが3人も集まった事で、意味のあるパーティとなった。

 泊まる方法は、基本のテント泊。装備も揃えた。ただ、小屋泊まりという選択も捨て難く、どちらも出来る山を選んだ。この辺り、いささかいい加減であるが、担ぐ装備には変わりはない。

 恵那山は頂上に立派な避難小屋が建つ。ルートは4本。今回は神坂ルートを採った。理由は、私がゼニーツに入ってすぐに連れて行ってもらったコースを、立場を代えて歩きたかったからだ。

 まずは何よりも好天に恵まれた。悪天候のストレスがなかっただけでも好かった。何せ、肉体的には今までに体験した事のない種類の負荷が掛かったと思う。スタートとゴールの標高差は高々600m少しだが、アップダウンがうんざりするくらいある。それをよく辛抱してくれた。 行く手に立ち塞がる岩や倒木に“何故お前はそこにいるのか?”と哲学的にも響く文句を言ったり、体育会系の気合を発したり、気を紛らわす為に絶え間なくおしゃべりしたりと異様に賑やかな進軍だった。“口動かすより足動かせ!”と注意されるくらい決して歩みは早くなかったが、それは当り前。牛歩クラスの進み方ではあったが、重荷と急坂と悪路に明るく笑って耐え、遂には頂上に達した。

 既に18時を過ぎていた。テント場を探し設営するには、時間も体力も無いと判断した。幸い、避難小屋には男性一人がいただけだったので、テントは諦めて小屋を利用することに決定。ガスと暗闇の中の水場探しは長く長く感じた。その単独男性に遠慮しつつ(遠慮したつもりです。遅くから迷惑掛けました。)、ランタンとヘッドランプで夕食とする。いつ来ても快適な恵那山避難小屋である。

 翌朝はゆっくり日の出を拝み、喫茶店風モーニングを済ませ、空荷で△三角点をピストン。

 下りも登りと同じように苦しみ、“もう笑うしかない”と変に軽快なテンションに達した。最後は、本当に高校のワンゲル部のような掛け声を掛け合って降りて来た。

 少し無理をした計画だったという反省はある。結果オーライで笑って済ますつもりはない。ただ、私の貧しい経験から言うと、辛抱して登った山ほど体に刻ま
れている。メンバーにも、じわじわとそう思ってもらえれば幸いである。本当に皆、明るく、前向きに行動してくれてありがとうございました。           
( 雅 )


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